まちづくりシンポジウム

1996年6月

早稲田大学は1996年7月6、7日に「まちづくりシンポジウム1996」を東京・西早稲田の早稲田大学国際会議場で開催する。

第1日は午前10時半から「今、社会が求める新しい職能、まちづくり家とは」をテーマに、長洲一二前神奈川県知事の基調講演のあと、卯月盛夫早稲田大学教授らをコーディネーターとするテーブル・ディスカッションを予定。第2日は午前11時から「分散と交流時代の地域経営」をテーマに、奥島孝康早稲田大学総長、松浦幸雄群馬県高崎市長、戸沼幸市早稲田大学専門学校校長の基調鼎談(ていだん)「自治と参加を支える人材と大学の役割」を行い、佐々木誠造青森県青森市長ら全国6市町長を招いてのパネルディスカッション「自治の新時代へ」を開く。

資料代は5000円、学生無料。参加申し込みと問い合わせは、〒169東京都新宿区大久保3の4の1、早稲田大学理工学部建築学科佐藤研究室へ。(田村泰彦


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牧野信一の生誕100年記念シンポ

1996年11月

作家、牧野信一の生誕100年を記念するシンポジウムが1996年11月11日夜、早稲田大学で行われる。

牧野信一は島崎藤村から絶賛された大正期の文学者。早稲田大学英文科を卒業後、時事新報社の雑誌「少年」「少女」の記者として勤める一方、小説執筆を始めた。時事新報社を辞めた後はギリシャ、ローマの古典に大きな影響を受け、独自のボヘミアン的、田園的な作風を樹立。幻想化した郷里を舞台とした作品を次々に書き、「ギリシャ牧野」と呼ばれたりもした。主な作品に短編小説「父を売る子」「ゼーロン」「鬼涙村」などがある。

「牧野文学をめぐるシンポジウム」は、現在あまり知られていない牧野の作品を再評価し、近代文学の中で特異な文学領土を切り開いた軌跡をたどるのが目的。作家の島田雅彦氏、批評家の武田信明氏、牧野についての著書もある研究者、柳沢孝子氏らが参加する。

1996年11月11日午後6時から8時半まで、早稲田大学小野記念講堂で。参加無料。「牧野信一生誕百年行動計画」事務局と早稲田大学文学研究会の共催。(スナップアップ投資顧問


第9回科学技術シンポジウム 早稲田大学教授 安田靖彦氏

2000年7月

◆情報通信は経済成長の主役に

現在の情報通信革命は、交通に例えるとマイカーが急速に普及し、高速道路が各地で造られた昭和30年代のモータリゼーションに匹敵するか、それ以上のインパクトを世界の経済社会に与えています。(株オンライン

従来の電話網と原理を全く異にするインターネットが出現し、21世紀初頭の経済社会のけん引役として、持続的な経済成長の主役になると期待されています。この情報通信の発展は、人間活動のインフラとして経済、社会、教育、文化、あるいは娯楽といったものにも大きな影響を与えると思われます。

日本の情報通信産業を他産業と比べると、売上高に対する研究開発費比率が一般的に高い。しかし、政府の自然科学研究費に占める情報通信の割合は欧米に比べて低く、また、政府系研究者の割合は欧米より極端に低いという問題点があります。

情報通信は、米国の軍事目的をニーズに生まれたものが多く、目的基礎研究から派生したシーズが多い。日本にも、サイバーテロ対策など情報通信の国家的なニーズがあり、こうした明確な公的なニーズに支えられたプロジェクトに研究開発投資を積極的に行うことが重要です。また、産官学が力を結集し、情報通信の国際標準化活動などを推進することも大切です。

◇【やすだ・やすひこ】昭和10年(1935年)生まれ。東京大学工学部卒業。昭和52年(1977年)東京大学生産技術研究所教授、平成4年(1992年)早稲田大学理工学部教授、平成6年(1994年)文部省学術情報センター客員教授、平成8年(1996年)東京大学名誉教授。前電子情報通信学会会長。


【1987年】早稲田大学人間科学部とは

リーダー育成

スポーツ界のリーダー育成を--私学の雄、早稲田大学はこの4月から埼玉県所沢市の新キャンパスに新しく人間科学部を開設する。「人間科学部」の名称そのものが全国で4番目という目新しさに加え、具体的なテーマとして、早稲田大学のスポーツの伝統を継承し、スポーツ科学と真正面から取り組もう、というのが新学部の大きな特色のようだ。高校スポーツ界の優秀な選手を集め、競技力向上もめざす一方、医療やレクリエーションなど広い分野に役立つ人材を育てたい、と関係者は意気込んでいる。(有宗良治

スポーツ科学科

「人間科学部」が話題になったのは1月31日のことだった。スポーツ科学科の特別選抜合格者として40人が発表された。合格者は24競技にわたっており、全国でトップクラスの活躍をした選手たちだ。例えば1986年の夏の甲子園で優勝した天理高の本橋雅央投手、同じく準優勝の松山商で一番打者として大活躍した水口栄二内野手。水泳ならソウルのアジア大会4冠の藤原勝教君(近大付)、やはり同大会の金メダリスト関戸直美さん(文京学園女)らだ。

「いわば競技スポーツの分野における次代のホープたちとともに、新学部の名がクローズアップされた格好。だが、同学部開設準備室長で、初代学部長に予定されている浅井邦二・文学部教授(心理学)は、いささかまゆをしかめる。「特別選抜の話題だけが先行して欲しくない。もちろん、彼らが大学スポーツ界でも一流選手として活躍し、早大の名を上げてほしいという気持ちはあります。けれど新学部の狙いは、早大の競技スポーツを強くしたいというのではない。スポーツを、人間が生きていく上での精神文化の一環としてとらえ、幅広く研究しようとしているのです」

人間健康科学科

学部は人間基礎科学科(100人)、人間健康科学科(160人)、スポーツ科学科(240人)の3学科から成り、定員は500人。スポーツ科学科の特別選抜は、1986年まで教育学部の体育学専修で行っていたものを同学科に移したものだ。1986年の特別選抜は32人。1987年、新学部開設に伴って、運動各部から「人数を倍ぐらいに増やしてほしい」との強い要望があったが、あえて8人増(新しく女子を4人)だけに抑えたという。一般応募の方は26日に試験が行われた。合格発表は3月9日。

早稲田大学は1982年、100周年記念事業の1つとして新学部の設置を打ち出した。検討を進める中で人間科学系と体育・スポーツ系の2つの学部案が残った。また、それとは別に、早大には長い間、医学部待望論もあった。これらの経緯が組み合わされる中で、人間の体そのものにスポットを当て、健康、スポーツといった領域を追求しよう、という学部の内容になったようだ。

社会環境、自然環境

そもそも「人間科学部」は47年に大阪大学が初めて開設、その後、文教大(埼玉県越谷市)、常磐大(水戸市)が同名の学部を設置している。これらの大学では心理学、社会学、教育学といった領域からの学際的研究が中心だった。体育学や医学の領域に踏み込んでいる点が早大の新しい試みといえそうだ。

学部の基本的なテーマとして浅井教授は「生涯発達」をあげる。「これまでは発達というと幼児から青少年までが中心だった。さらにそのうえの成人、中高年、老年といったところまで含めて考えたい」。人間基礎科学科で、この生涯発達の過程を社会環境、自然環境とのかかわりを通して研究する。人間健康科学科では「心の健康」が中心。「病気になって治療するのは医学に任せる。病気になる以前、あるいは病気が治った後の問題を考える。精神医学とか予防医学の分野ですね」と同教授は話す。

学科の枠を超えた幅広い研究

スポーツ科学科では既存の体育学科の枠を超えた幅広い研究をめざす。体育とスポーツがどう違うのか。現在、早稲田大学の体育局長で、学科主任が予定されている窪田登教授(体育学)は「従来の体育学科の中心は、学校体育の先生を養成することだった。しかし今は、企業におけるフィットネスや地域のスポーツクラブなど、もっと幅広い指導者が求められている」という。つまり、体育が知育、徳育と並び称せられ、教育のカテゴリーに含まれていたのと違って、生涯を通じた健康作りに正しい人材が必要、という考え方のようだ。

「アメリカで最近、ウェルネス(Wellness)という言葉が使われる。肉体的に健康なだけでなく、精神的、情緒的、社会的にすべて満たされた健康状態のことをいうんです。そうしたウェルネスの追求が今後、21世紀に向けてますます盛んになりつつある」と同教授は言う。